「サードマン 奇跡の生還へ導く人」(ジョン・ガイガー著、伊豆原弓訳、新潮文庫)を読んで(改訂) [読書感想]
人は、孤独の極限状態になった時、そこにいるはずのない「誰か」に出会い、その「誰か」に命を救われることがあるらしい。その「誰か」のことを、サードマンと呼んでいるようです。
本書は、このサードマン現象について、あの9.11の事故に直面した人や登山家、遭難者、潜水士等、まさに生死の狭間にあった人々の不思議な体験例を紹介しながら、分析・考察している本です。
この事例が、非常に興味深く、迫真に富んでいて、読み始めたら、吸い込まれるように一気に最後まで読んでしまいました。
この著者は、様々な方面から幅広く検討し、慎重な表現をしながらも、結論として、その「誰か」(サードマン)を、危機状態にある人の脳が創り上げた世界ではないかと考察しています。本の中で、著者の子供の頃の不思議な体験に触れたところはありますが、サードマンに出会った体験はないようです。
私も、サードマンらしき人には会ったことがありません(><)。
ただ、出会ったことはありませんが、それらしき「声」を聞いたことがあります。
これまでに二度だけですが、確かに聞いたことがあります。
一度目は、何気ない日常の中で、二度目は、極限状態の中で、まさに私の命を救うことになる声でした。
二度目のことは、まだ書くことができないので、ここでは、一度目の声のことについて紹介して、それから再度この本について感想を述べてみたいと思います。
それは、私が前の会社に勤務していた頃のこと。
それまでも、月200時間を超えるサービス残業を長年繰り返しながら、中間管理職としても苦悩しながら、何とか20年間以上勤務を続けていた会社でした。
様々な深刻なトラブルを抱えながらも、何とか勤務を続けようと、その日も、深夜まで、一人で残業して、さらに残った業務を処理しようとした瞬間、その声が聞こえたのです。
「もういいじゃないか。」
それは、自分の声でも、知人の誰かの声でもない、これまでに全く聞いたことが無い、実に不思議な声でした。右耳の上の天井の方から、突然聞こえてきたのです。
その声がどんな声だったか、思い出しながら、自分の表現できる範囲で書いてみたいと思います。
声の大きさ:
決して、か細い声ではなく、また同時に、煩い声でも無い。その声は、つぶやきのようでいて、はっきりと聞こえる最低限の大きさを持つ声でした。
声の性別:
決して、女性の声では無く、男性に違いないと思われる声でした。
声の齢:
決して、老人のしわがれ声ではなく、また幼い声でもありませんでした。成人の男性のような声でした(あえて表現すれば、当時の私より、いくらか年上の男性のような声)。同時に、澄んだ声でした。
声のトーン:
決して、高いキーの声ではなく、また同時に、野太い声でもありませんでした。
声の温かさ・華美さ:
その声は、決して、冷ややかな声ではなく、同時に感情的な声でも無く、淡々として、しかし、しっかりとした意思が感じられる声でした。何か、深い智性が感じられるような声でした。
その声は、今思い出しても、実に不思議な声でした。
その声は、静かで、はっきりとした、透明で、落ち着いた、確かな声でした。おそらく男性の。
そのタイミングも含めて、全ての点で、絶妙な声でした。
その声は、思い出すたび、奇跡の声としか表現しようのない声でした。
当時のことを思い出してみて初めて気づくことなのですが、何気ない日常の中ではありましたが、私は、おそらく、その瞬間、自分の限界を超えようとしていたのではないかと思うのです。その声は、やはり救いの声だったのかもしれないと、今では、そう思えます。
「もういいじゃないか。」
その声を聞いた瞬間、私は、「えっ、何?」と思いました。
そうして、全てを納得したのです。
「そうだ。その通りだ!もういいじゃないか。自分は、この会社で、本当に自分のベストを尽くした。
もう、思い残すことは無い。もう、いいじゃないか!」
その瞬間、私は、長年勤めてきた会社を、心底納得して、切り分けることができたような気がするのです。
そこにあったのは、ただ本当にすっきりとした達成感でした。
あの声に導かれたように、その後、私は、会社や株主と交渉を続け、翌年、独立することになったのです。
・・・・・・・・・・
私のこの体験は、何気ない日常の中の一瞬の体験に過ぎず、サードマンに触れたといえるものかどうかも定かではありません。ただ、思い出せば思い出すほど、本当に不思議な声でした。
おそらく、ただの幻聴だったのでしょう。
ただ、幻聴だからこそ、信じることができないのです。
あの奇跡のような声を、私の脳が創ったというのでしょうか?
私の脳が、単独で創ることができたのでしょうか?
実は、この本の最後に、非常に興味深い示唆がなされています。
・・・ノイスは、人間には良く分かっていない能力があって、個人の枠を超えて集合無意識へと広がっているのではないかと考えている。・・・
最後の文章を紹介してみましょう。
サードマンは何か途方もないものをあらわしている。サードマンがあらわれるのは、いつも、探検家、冒険家、生存者が目前の悲惨な状況を乗り越える瞬間である。サードマンは希望の媒介者である。その希望は、人間の性質の根本にある認識によってーすなわち、私たちは一人ではないという信念と理解によって達成されるのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この本の冒頭に、わが子、ジェームズ・サザランド・アンガス・ガイガー(2007年6月15日ー21日)に捧ぐ、と書かれています。
愛するわが子は、6日間の命だったのでしょうか?
この本は、本当に思慮深い良書です。
ヒトの持つ凄まじい可能性について、深い考察の入口にたっている本です。
示唆に留めた理由が、なんとなく分かるような気がします。
入口に立ち、そこから先の果てしない考察を、読者にゆだねているといえるかもしれません。
著者が、次にどんな本を書かれるか、本当に楽しみです。
本書は、このサードマン現象について、あの9.11の事故に直面した人や登山家、遭難者、潜水士等、まさに生死の狭間にあった人々の不思議な体験例を紹介しながら、分析・考察している本です。
この事例が、非常に興味深く、迫真に富んでいて、読み始めたら、吸い込まれるように一気に最後まで読んでしまいました。
この著者は、様々な方面から幅広く検討し、慎重な表現をしながらも、結論として、その「誰か」(サードマン)を、危機状態にある人の脳が創り上げた世界ではないかと考察しています。本の中で、著者の子供の頃の不思議な体験に触れたところはありますが、サードマンに出会った体験はないようです。
私も、サードマンらしき人には会ったことがありません(><)。
ただ、出会ったことはありませんが、それらしき「声」を聞いたことがあります。
これまでに二度だけですが、確かに聞いたことがあります。
一度目は、何気ない日常の中で、二度目は、極限状態の中で、まさに私の命を救うことになる声でした。
二度目のことは、まだ書くことができないので、ここでは、一度目の声のことについて紹介して、それから再度この本について感想を述べてみたいと思います。
それは、私が前の会社に勤務していた頃のこと。
それまでも、月200時間を超えるサービス残業を長年繰り返しながら、中間管理職としても苦悩しながら、何とか20年間以上勤務を続けていた会社でした。
様々な深刻なトラブルを抱えながらも、何とか勤務を続けようと、その日も、深夜まで、一人で残業して、さらに残った業務を処理しようとした瞬間、その声が聞こえたのです。
「もういいじゃないか。」
それは、自分の声でも、知人の誰かの声でもない、これまでに全く聞いたことが無い、実に不思議な声でした。右耳の上の天井の方から、突然聞こえてきたのです。
その声がどんな声だったか、思い出しながら、自分の表現できる範囲で書いてみたいと思います。
声の大きさ:
決して、か細い声ではなく、また同時に、煩い声でも無い。その声は、つぶやきのようでいて、はっきりと聞こえる最低限の大きさを持つ声でした。
声の性別:
決して、女性の声では無く、男性に違いないと思われる声でした。
声の齢:
決して、老人のしわがれ声ではなく、また幼い声でもありませんでした。成人の男性のような声でした(あえて表現すれば、当時の私より、いくらか年上の男性のような声)。同時に、澄んだ声でした。
声のトーン:
決して、高いキーの声ではなく、また同時に、野太い声でもありませんでした。
声の温かさ・華美さ:
その声は、決して、冷ややかな声ではなく、同時に感情的な声でも無く、淡々として、しかし、しっかりとした意思が感じられる声でした。何か、深い智性が感じられるような声でした。
その声は、今思い出しても、実に不思議な声でした。
その声は、静かで、はっきりとした、透明で、落ち着いた、確かな声でした。おそらく男性の。
そのタイミングも含めて、全ての点で、絶妙な声でした。
その声は、思い出すたび、奇跡の声としか表現しようのない声でした。
当時のことを思い出してみて初めて気づくことなのですが、何気ない日常の中ではありましたが、私は、おそらく、その瞬間、自分の限界を超えようとしていたのではないかと思うのです。その声は、やはり救いの声だったのかもしれないと、今では、そう思えます。
「もういいじゃないか。」
その声を聞いた瞬間、私は、「えっ、何?」と思いました。
そうして、全てを納得したのです。
「そうだ。その通りだ!もういいじゃないか。自分は、この会社で、本当に自分のベストを尽くした。
もう、思い残すことは無い。もう、いいじゃないか!」
その瞬間、私は、長年勤めてきた会社を、心底納得して、切り分けることができたような気がするのです。
そこにあったのは、ただ本当にすっきりとした達成感でした。
あの声に導かれたように、その後、私は、会社や株主と交渉を続け、翌年、独立することになったのです。
・・・・・・・・・・
私のこの体験は、何気ない日常の中の一瞬の体験に過ぎず、サードマンに触れたといえるものかどうかも定かではありません。ただ、思い出せば思い出すほど、本当に不思議な声でした。
おそらく、ただの幻聴だったのでしょう。
ただ、幻聴だからこそ、信じることができないのです。
あの奇跡のような声を、私の脳が創ったというのでしょうか?
私の脳が、単独で創ることができたのでしょうか?
実は、この本の最後に、非常に興味深い示唆がなされています。
・・・ノイスは、人間には良く分かっていない能力があって、個人の枠を超えて集合無意識へと広がっているのではないかと考えている。・・・
最後の文章を紹介してみましょう。
サードマンは何か途方もないものをあらわしている。サードマンがあらわれるのは、いつも、探検家、冒険家、生存者が目前の悲惨な状況を乗り越える瞬間である。サードマンは希望の媒介者である。その希望は、人間の性質の根本にある認識によってーすなわち、私たちは一人ではないという信念と理解によって達成されるのである。
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この本の冒頭に、わが子、ジェームズ・サザランド・アンガス・ガイガー(2007年6月15日ー21日)に捧ぐ、と書かれています。
愛するわが子は、6日間の命だったのでしょうか?
この本は、本当に思慮深い良書です。
ヒトの持つ凄まじい可能性について、深い考察の入口にたっている本です。
示唆に留めた理由が、なんとなく分かるような気がします。
入口に立ち、そこから先の果てしない考察を、読者にゆだねているといえるかもしれません。
著者が、次にどんな本を書かれるか、本当に楽しみです。